2010年5月31日月曜日

Plamo Linux

Plamo Linuxに出会ったのは1999年の暮れ頃じゃなかったかな。2000年問題でNEXTをバージョンアップしようと思って見積もりをとったらマシンの買い替えも必要と判明。そんな資金はないと早々に諦めた。ところが、仕事に使用するマシン(プログラム作成がメイン)をMacにするのはいささか不安だし、MPWからNEXTにソースコードを移した時に大変な思いをしたので悩んでいたときだった。雑誌におまけにPlamoLinuxがCD-ROMで入っていた。別のマシンに早々にインストールし、使ってみると快適だし、WMakerも日本語化されており、即、入れ替えを決定した。

NetscapeでWeb閲覧も問題なし。メーラーは何だったかな思い出せないけどちゃんとメールの送受信も行う事ができた。開発環境は昔ながらのFORTRANだからf2c+fort77(スクリプト)で問題なくコンパイルできる。快適な環境が直ぐに手に入ったんだから嬉しい事。流石に僕が選択した仮名漢字変換サーバ(Canna)+Kinput2の変換効率の悪さにはガッカリしたが。調べてみると現在はバージョンは4.7。日本では余り人気のないSlackWareベースでここまで続けられたのだから凄いパワーだと関心している。

素のUnix系OSを勉強するのならSlackWareやPlamo Linuxは最適なのだと思う。必要なパッケージはソースから(勿論、それなりのスキルは必要だけど)makeすれば良いくらいの方には最適。僕も時間ができたらチャレンジしたいのはやまやまだけど。寄る年並には勝てないから現在はペンディング。使われている方は情報系の研究者が多いようだ。どんな、WindowManagerを使われているのか拝見したいね。まさか、TWMなんて事はないと思うけど。

ワープロなんて使わないでエディタ(ViかEmacs)でTeXのソースを書いて判組してるのかな。今は少なくなったのかな。OpenOfficeなどがあるのだから短い文章はWriterで済ましているのかな。興味津々ではあるのです。今の僕はヘタレ気味でUbuntuでgnome。GUIがなければ生きてゆけないからだなのです。昔は元気だったけどな。

2010年5月30日日曜日

Linuxとの出会い

Linuxに出会ったのは1992年頃ではなかっただろうか。JEもまだ無く、日経MIXかNiftyServeでKtermやCanna、WnnをCD-ROMに焼いて配布するということをやっていたと思う。記憶が定かではないが。アメリカからIBM互換機を輸入し、このマシンにLinuxをインストールし、本当に何日もかけて日本語環境を何とか構築した。

正しく手探りで、makeなんて分からない、tarの解凍方法も分からない状態だった。情報源は書籍とパソコン通信。ログを読みながら調べて、試しながら知識を得たと思う。

じゃ何故、Unix系OSにここまで拘ったのか。パソコン上で動くシミュレーションソフトを書いていたけど、OSが今一つ不安定(実はプログラムのバグが原因でもあったけど)だったので、安定したOSで書きたかったから。MacOS+MPW+Fortranという環境だったのでしばしばMacの画面に爆弾マークが。

Linuxの日本語環境は非常にお粗末(現在と考えると雲泥の差)ではあったけど、f2cとfort77スクリプトでプログラムをコンパイルできる。エディタはNemacsを使ってプログラム作成環境は快適だった。演算速度は遅かったけど、安定したコンパイル環境の構築は楽だった。結果はGnuPlotで表示させた。X-windowが無くても大丈夫だったような。

20年前にこんな環境を構築できたのだから飛びつかないのは?じゃない。約20年もLinuxと付き合っているけどスキルは向上しないけどね。